愛する珠洲のため。復興から地方創生へ|〈アステナホールディングス〉岩城慶太郎さん

大草朋宏

能登の魅力や現状を伝えていくこのコラム。1回目は、珠洲市に住む〈アステナホールディングス〉取締役の岩城慶太郎さん。「令和6年能登半島地震」発災の直後から、さまざまな活動を、素早く行なっていたことは、多くのメディアを通してすでに知られていることだろう。震災から2年が経ち、岩城さんはいまの能登をどう捉え、どのような未来を思い描いているのか。

上場企業の取締役として全国を忙しなく飛び回る岩城さんだが、本邸があるのは珠洲市だ。「自分の家みたいなもの」という宿〈木ノ浦ビレッジ〉のロビーで、薪ストーブの火の番をしながら話してもらった。

能登の“非効率で忙しい”暮らし

「なんでこんなに好きなのかよくわからない」

そう話すのは、2021年、東京から珠洲市へ移住した〈アステナホールディングス〉取締役の岩城慶太郎さん。

「妻とよく話すのは、能登は生きるのに時間がかかるってこと。生きるのに時間をかけることができる、ともいえます。東京は生活するのが簡単です。コンビニがその辺にあるから。極論ですけど、能登では米から作らないといけません」

全国を駆け巡る多忙な岩城さんをして、珠洲での暮らしは時間をかけるので「とても忙しい」という。

「うちの裏に畑があって、パドロンという小さいピーマンみたいな野菜を育てています。それを瓶の中に塩とレモンの皮と絞り汁で漬け込んで、冷蔵庫に熟成させています。1年後に食べるとすごくうまい。こんなのすごく時間がかかるじゃないですか。好きなものを手に入れるのに時間がかかるけど、時間をかける生活の愛しさみたいなものが楽しくてしょうがないんです。とにかく忙しいんですよ。でも忙しいって、幸せなことだと思います」

都会は便利で、効率がいい。でも「便利・不便」の定義は場所によって結構違う。

「不便さは感じません。おなかが空いたら海に行けば魚が捕れるし(笑)。 たまねぎがなかったら、近所のおばあちゃんちの畑に行って『たまねぎもらうよ』って。『10 個ぐらい持ってけ』『そんなにいらん』みたいな。それが楽しいんです。自分の手の届く範囲の楽しさをすごく享受しています」

いま能登中に、同様に感じている人や団体がたくさんいて、地域を残したい、守りたいという思いをもっている。

「正確にいうと僕と同じで、そこが好きだからそこにいたいだけ。地域を守らないと自分が住みたい場所ではなくなってしまうからやっている。実はすごく合理的だと思います」

恩返しから始まるビジネス

今ではこのように能登の魅力を語る岩城慶太郎さんは、2016年に能登を旅したことをきっかけに、2021年、東京から珠洲市へ移住した。当時、岩城さんは上場企業〈アステナホールディングス〉代表取締役で、なんと同時に、本社機能の一部を珠洲市に移転。これは当時、能登だけではなく全国的に大きな話題となった。

本社機能を移転した理由を「恩返しがしたかった」と、率直に話す。

移住する前、木ノ浦ビレッジによく泊まっていたときのこと。周辺にも、よく来る人と認識されていたようだ。あるとき、自分の客室の前に白菜が置いてあった(木ノ浦ビレッジは全室独立型のコテージである)。誰が置いたのかわからないが周辺住民であることは間違いない。そこでお返しに東京でお菓子を買って、それであろう人に渡しにいった。

「お菓子を渡そうとしたらすごく怒られたんです。『お返しなんていらない。やりたくてやっているだけで。お返しをもらったら、それがもらいたくてやっているみたいになる』と」

それが能登の常識なのだと思った。しかし、何かをもらってお返しをしないのは自分としてもすこし気持ちが悪い。すごく悩んで「モノがいらないならコトで返そう。そしてみんなやりたくてやっているというのであれば、ぼくもやりたいことを好きにやろう」と、会社機能をもってきた。ビジネスをつくれば雇用も生まれ、能登のためになると思ったからだ。

まるでよくできた昔話。白菜が上場企業になって返ってきたのだ。

「能登乃國百年之計」を立ち上げる

こうして珠洲で事業、ビジネスを推進してきたが、2024年1月1日「令和6年能登半島地震」が発災する。岩城さんは7日には「能登半島地震避難者受入基金」を立ち上げ、寄付を募った。

そして広域避難した合計約27,000人のうち、最初の5000人ほどは、岩城さんたちが関わっているという。とにかく早く動いていた印象が残っている。

次は、復興への段階だ。

「1月半ばに、金沢に避難している人たちや支援をしてくれた人たちと集まる機会がありました。そのときに『これまではとにかく能登から人を出すという活動をしてきたけど、これからは全員戻したい。今日を復興の1日目にしよう』という話をしました。そのためには、100年後も能登が能登らしくあるための、勇気をもてる復興ビジョンをつくらなければなりません」

こうして〈一般社団法人 能登乃國百年之計〉が立ち上げられた。まずは能登に住む5000人の復興ビジョンを収集し、発信することを目標とした。4月には300人の市民のビジョンをとりまとめ、県に提言を行なっている。

市民それぞれの声を大切にした理由は〈能登乃國百年之計〉のミッションステートメントにある「最小公倍数型の復興」という言葉からわかる。岩城さんも再三「能登は地域ごとに文化や地域性が違って、万華鏡のようだ」と話している。

例えば能登には地域ごとにたくさん祭りがあるが、同じものはひとつとしてない。コミュニティの単位もかなりこまかく分かれていて、しかもそれぞれに異なる考え方がある。そんな能登だから、ひとつの大きな復興プランでまとめるのは力技過ぎる。だから市民から声をもらうという行動に表れたのだろう。

外の人に関わりシロを知ってもらう

能登でいま足りないものは人だ。だから積極的に関係人口づくりを行なっている。〈能登乃國百年之計〉では、その第一歩として『シロシル能登』というウェブサイトを立ち上げた。名前の由来は「関わりシロを知る(シル)」である。

「能登のさまざまな事業を取材して紹介しています。まずは読者が、自分がどのように能登に関わることができるかを“知る”こと。そこから関係人口創出につながると思います」

紹介した事業者はもう200を超えている。メディアプラットフォームとしては機能してきたので、次のフェーズへと移ろうとしている。それが事業者支援だ。

「掲載されている事業者さんたちを中心に、経営リソースを提供できるようなプラットフォーム作りを進めています」

さらに新規事業づくりにも取り組んでいる。2026年2月からは、県から3名の地域おこし協力隊の運営業務を委託され、起業の伴走支援を一緒に行なっていくことになった。

「協力隊たちが企業と伴走する仕組みをつくろうとしています。今後3年間で100の新規事業を能登に作ることが目標です」

こうして雇用や人材を呼び込もうとしている。雇用や人が増えれば、結果的にコミュニティに人が増えて、サステナビリティが高まっていくだろう。

誰もが気軽に見ることができるウェブメディアは、誰もが能登復興に関われることを示している。最近、「能登の復興は日本の将来を占う分水嶺だ」と言われる。より広範囲の災害が起きたときに、人口12万人の能登復興のかたちを、レジリエンスを高めるための教訓にしなければならないからだ。

被災地支援という名の地方創生

被災地支援を進めてきた岩城さんであるが、震災から2年経ち、もう被災地支援という言葉は意識していないという。

「地震や豪雨災害があったことは、大きなきっかけになっているけど、いまは復興自体に重きを置いているわけではありません。もしかしたら、1周回って地方創生をやっているのかも。2021年に会社でそれをやろうと始めたけど、震災があり、いま結局、同じ道を走っていますね」

たしかに能登においては事業創出も、関係人口創出も、2024年以前からある課題だ。被災地支援と地方創生の一体化。課題がわかりやすく表出しただけで、能登で取り組まなければならないことは、以前から積み残されているのだ。

「元の姿に戻すというよりは、課題解決をしながら元の姿以上にしたいと思って活動しています」

能登の小さなコミュニティの魅力

「能登の人たちはやりたいことを自由にやる人たち。だから『能登乃國百年之計』 としても、僕個人としても、あるいはアステナとしても、『やるべきこと』や『やってほしいこと』をやるというよりは、やりたいことを好きにやればいいと思っています。そして、みんなのやりたいことが僕のところに集まってやればいい」

ただし地域のコミュニティは一筋縄ではいかない。しっかりと地域の人に寄り添い、「人を見る」というところはしっかりやらないといけないのではないか。しかし岩城さんが「万華鏡」と言っていた社会が能登では立ちはだかる。

「すごく難しい問題です。能登は在所(*地区や自治会ほどの小さな単位。能登では在所という言葉を使うが、珠洲では部落というのが一般的)が重要なんです。在所の単位でコミュニティが構成されていて、全部数えると多分1000を超えます。それぞれの思いがあったり、伝統があったり、やり方がある。僕は折戸町の住民だし、木ノ浦という在所(部落)の住民。〈能登乃國百年之計〉としては能登全体を見ているけど、僕にとっての地域コミュニティはここにしかないので、ほかの在所に口出しすることは難しいです」

岩城さんの住む折戸町には5つの在所(部落)があり、木ノ浦という在所は8世帯13人だ。それらが「やりたいことを自由に」やっていることが、能登の魅力だという。

東京は好き勝手に生きられない。東京や会社のルールがあって、みんなそれに縛られてなんとなく生きている。一方で能登には「これが自分にとっていちばんいい生活だということを、理解して実現する人たちが集まっている」という。それが自由ということだ。

在所がそれぞれの個性で活動しているということは、たまたま前向きに手を上げるようなプレイヤーがいればそこにいればいいが、必ずしもそうではない。

 「例えば近くの山の中に、 82 歳のおばあちゃんが 1人で住んでいます。震災後に最後まで水が通らなかったので、僕が軽トラで水を運んでいたんです。その時に『もうこの在所にはあなたしかいないし、ここにずっといるんだね』と聞くと『体が動くうちはここにいたい。海はきれいで、畑もあるし』と言うんです」

その在所をもう1 回盛り上げようなんてことは思ってない。ただ自分が最後のひとりだという覚悟は決まっている。

「もしその在所が閉ざされていくことを本当に残念だと思うなら、僕はそこに行って、最後の1人を受け継ぐ人間にならなくちゃいけない。その覚悟を持たなければいけない。だけど残念ながら僕は身がひとつだし、人間としての限界があります」

もちろん、ひとつでも多くの在所が残ってほしいが、仕方がないこともある。

「少子高齢化が進んで、その最先端である能登は、消滅可能性が高いわけです。もし『能登終了宣言』みたいなものが出されたとしても、僕はここに住むと決めています。自分の在所の最後のひとりになって、最後に閉じさせる。能登半島の最北端で自分がラストワンになる」

岩城さんは折戸町/木ノ浦への愛情から、覚悟をにじませるが、在所が1つなくなると、能登の魅力が1つ減ってしまうということなので、そうならないようにしたい。

「やっぱり人がいて営みがあって、そこに住む人たちが互助の社会のなかで生きてるというのが能登の美しさ。さらに伝統があって、文化があって、めんどくさいおっさんがいて(笑)、というのが魅力だと思います」

最後のひとりになるという覚悟と、ビジネス視点を生かした地方創生。虫の目も鳥の目ももった岩城さんは、大好きな能登にこれからも「恩返し」をしてくれるだろう。