「普通」であることが特別な体験になる|〈湯宿さか本〉坂本菜の花さん

大草朋宏

能登半島の珠洲市上戸(うえど)町、静かな林の中に〈湯宿さか本〉は佇んでいる。現代の利便性追求とは逆を行くこの宿が、全国の旅人を惹きつけている。そのホームページの1文目は、ぐっと心を掴まれる。

 
“もしかしたら、さか本は大いに好き嫌いを問う宿です。
なにしろ、部屋にテレビも電話もトイレもない。
冷房設備もないから、夏は団扇と木立をぬける風がたより。
冬は囲炉裏と薪ストーブだけ。
そう、いたらない、つくせない宿なんです。”

三代にわたって続く小さな宿を切り盛りしているのは、坂本菜の花さんだ。令和6年能登半島地震、その後の令和6年奥能登豪雨。幾多の困難を乗り越え、彼女はいま「普通の暮らし」を紡ぎ直そうとしている。

(画像提供:湯宿さか本)

引き算の美学を受け継ぐ

〈湯宿さか本〉は、菜の花さんの父・坂本新一郎さんが現在にいたる礎を作った。バブル期、旅館が大きくなることを競っていた時代に、あえて「日本一小さな宿を作ろう」と思い立った。サービスは最小限、至れり尽くせりではない。

「宿ではなく、別宅である」と新一郎さんはコンセプトを定めた。お客さんは自分の家のように勝手知ったる様子で過ごす。そんな“ほったらかし”の宿だ。

「最初は喧嘩も多かったみたいです」と菜の花さんは笑う。旅館らしいフルサービスを期待してやってきた客が、肩透かしを食らって怒る。それでも「それがいい」という人たちが口コミで集まってきて、少しずつ宿の輪郭が定まっていった。

菜の花さんが本格的に宿の運営に関わるようになったのは、コロナ禍の後のこと。沖縄の高校に進学し、卒業後は旅に出るつもりだった。しかし、なんとなくそのまま家の手伝いをするようになり、気づけば経営者になっていた。

(画像提供:湯宿さか本)

去年(2025年)、菜の花さんは初めて半年間、宿を休むことにした。「なぜ続けているのか?」という疑念が生まれたのだ。沖縄から戻ってそのまま宿を手伝い始め、コロナがあり、震災や豪雨があった。一度、立ち止まりたかった。

「本当は1年間休みたかったんですけど、私がいないと営業しないと父に言われて。『じゃあ半年で』と決まり、その間は宿も休業することになりました」

ところが半年経って戻ってきたら、なんと父・新一郎さんは〈湯宿さか本〉を離れ、金沢で新しい試みを始めていた。こうして本格的に菜の花さんの代に移った。

「すべて自分で決めていいという自由には、大きな責任がついてきました。2021年頃から私も経営者のひとりということになっているのですが、これまでは私は運転席に座っていても、父というコンピュータに支えられた自動運転だったように思います」

新一郎さんが宿から離れて、菜の花さんがこの宿でやりたいことはなんだろうか。その答えははっきりとはしないが、まず目の前でやらなければならないことは「普通をしっかりやっていくこと」だった。

「普通」というスペシャリティ

洗面所は夏も冬も吹きさらし(画像提供:湯宿さか本)

「普通」を続けることは、簡単なようで簡単じゃない。突き詰めると、実は一番難しい。

「何年も前から普通をしっかりやっていくというキャッチフレーズを、自分を力づけるために言い聞かせてきました。改めて半年間の旅をして、そういうことを考えましたね」

「普通」の定義は人、場所によってさまざまだ。時代でも変わっていく。

「部屋は和室のみ。お風呂とトイレは共同。みんなでご飯を食べること。ご飯は、ごく普通の味噌汁とご飯と漬物。かつては多くの家庭がそうであったものが、今では普通じゃないんですよね」

〈さか本〉にも、少しずつ若いお客さんが増えてきた。それを「あえて味わいに来る」場所になっていくのかもしれない。この普通の宿を維持すること。それは何かをゼロイチで作り出すことと同じくらいの価値を持つのかもしれない。

実は菜の花さんも、スタイリッシュでデザインも洗練されていて料理にも力を入れている、そんなSNS映えするような宿に魅力を感じることもあった。

「ラグジュアリーな宿にも泊まって勉強したけど、いまではなんだか寂しいと思ってしまいます。また行きたいかと聞かれれば、それほどでもない。満たされない何かがあるんです」

その不足感の正体は、人との交流だった。菜の花さんは、自他とも認める寂しがり屋だ。

「例えば台湾の飲食店に入ったとき、すごくぶっきらぼうな店員さんと話していて、言葉は全然わからなかったけど『この調味料がおいしい』という話をして立ち去っていくみたいなやり取りが印象に残っています。それがひとつあっただけで『また行きたいな』とか『今日の朝は良かったな』と思ったりする。私は結局、人好きなんだと思います」

〈湯宿さか本〉を語る上で欠かせないのが料理だ。新一郎さんが掲げた「田舎料理、されど野暮には走らない」という言葉は、菜の花さんの心にも深く刻まれている。

「見た目はなんてことない、普通の煮しめや干物です。でも、自家精米のお米を湧き水で炊き、自家製味噌や糠漬けを添える。その『普通』を気を抜かずにしっかりやることが、一番難しいと思っています」

名物の「鰤(ぶり)大根」は、大根が主役。なんと3日半もかけて大根を煮込む。鰤は一度焼いて脂と臭みを落としてから別で煮込み、最後に合わせるという、かなりの手間がかけられている。

朝食に出される「がんもどき」も、豆腐から手作りし、揚げたてのカリッとした状態で提供される。素朴さという特別感が、現代の旅人の心をほどいていくのだ。

どれだけいい建築、デザイン、料理が揃っていても、時間が経って思い出すのは、ちょっとした人とのやりとりだったという経験はあるだろう。それは宿としてマニュアル化できるものではない。

「特別に設えられた空間であることより、一人ひとりと向き合ってやり取りをしてくれる時間がある場所が必要だと思います。なぜこんなに遠くまで来てくれたのか。一言でもいいから、そんなやり取りをしたい。そのほうが結果的にリピートにつながると思っています」

働くことは暮らすこと、暮らすことは働くこと

みんなで食事をする食堂(画像提供:湯宿さか本)

〈湯宿さか本〉では、宿泊客全員が大きな囲炉裏のテーブルを囲んで食事をいただく。最初は見ず知らずの他人同士でも、同じ火を囲み、同じ料理を食べるうちに会話が弾み、連絡先を交換して「また来年、ここで会いましょう」と約束するようになる。そんなゲストハウスのような親密さが生まれる。

「自分が旅をしなくても、いろいろな地域の人が向こうからやってくる。寂しがり屋だから常にお客さんがいてほしいです」

お客さんがいる状態が、菜の花さんにとっての日常。そのほうが自分たちの生活も回っていく。

「宿をやってる、という感覚じゃないほうが自然に働くことができます。自分たちの暮らしの延長に宿があり、お客さんが来ることで家も回っていくんです。薪が減り、食卓が賑やかになる。半年休んで気がついたのは『お客さんがいてくれてこそ、私たちの生活が成り立っている』ということでした」

それは経済的なことではなく、まさに暮らし。働くことは暮らすことであり、暮らすことは働くこと。まるで農家のようだ。

更地の町に、木を植える

震災後の珠洲の町、一変した風景は、知らないうちに菜の花さんの心にストレスをかけてきた。

「壊れた家が町にある状態がしんどくて。だんだん慣れてきたけど、別の土地に行って帰って来ると、またどっと疲れてしまう。去年にはだいたい更地になったけれど、それはそれで何もなくなってしまって、これからどうしていけばいいのだろうという気持ちになります」

解体後の更地が増えていき、未来が見えない。そこで菜の花さんは、木を植えていくことができないか、と思いついた。「更地ばかりになる町で何ができるのか、家族と話していたんです。すぐに家を建てるのは難しくても、雑木林の間に家がポツンポツンとあるような、そんな景観の町づくりができたらいいなという妄想から始まりました」

ちょうど2024年秋に「第28回女性文化賞」を受賞し、副賞の50万円を手にしていた。「このお金を使って木を植えよう」と思い立ち、「木からつくる町プロジェクト」を立ち上げる。ところがみんなまだそれどころではないというタイミングで、なかなか周囲の理解や賛同が得られなかった。

それでも1年ほど経った頃、NPO法人〈ガクソー〉が興味をもってくれた。ちょうど彼らが建てている最中だったまちの拠点〈飯田のみんなの家〉の一角に苗を植えることができることになり、今年(2026年)3月末、ついに最初の植樹が実現。震災後、珠洲にボランティアで入ってくれていたNPO法人〈地球守〉で働いていたスタッフが協力を申し出てくれた。景観を良くしたいと考えていた菜の花さんのビジョンに、学術的な環境改善というエッセンスを加えてくれた。

こうして実際に地域に対しての地道なアクションを起こしてはいるものの、「まちづくり全体を捉えるのは本当に苦手」と言う。

「イヤなことや、こうならないでほしいというのはたくさんあります。でも、じゃあどうしたらいいのか、どういう町になったら未来は明るいのかという視点は、自分の中でも曖昧だし、とても難しい。まずは自分ができることをやる、に尽きます」

その第一歩が植樹だったのだ。

「町全体を元気に、なんて背負うと苦しくなるけれど、自分の手の届く範囲で、一人ひとりがコツコツと足元を整えていく。その集合体が、結果的にいい町につながるんじゃないかと思います」

変化する珠洲で、生活と宿を続ける

輪島塗のお風呂(画像提供:湯宿さか本)

「現状の珠洲で、これからの宿をどう考えてるか」と聞くと、菜の花さんはじっくりと思いを巡らせる。〈湯宿さか本〉のスタイルは「引き算の美学」だ。新たな要素を加えるには抵抗がある。でも「これ以上減らせそうにはないですね」と聞くと、「そうなんですよ」と笑った。極限まで尖らせた完成形がすでにある。これから先は、修繕とブラッシュアップしかない。

一方で、周りは確実に変わっている。震災前から仕入れていた地元の魚屋さんは、自宅が被災して金沢に移った。クリーニング屋さんやスタッフのみんな、宿を支えていた人たちが少しずつ変化している。それに気候が変わって野菜も変わる。「同じことをしているようで、まったく同じではありません」と菜の花さんが言うように、変化は外からも訪れる。

このように震災後、変化があったり、珠洲を離れた人も多いが、菜の花さんは「ここで続けること」を選んだ。義務感ではなく、この場所での生活が好きだから。

「正直、宿をこの先自分が引き継いでいくかと思うと、重力が急に2倍になったような感覚がします。だから引き継ぐのではなく『この生活を続ける』『この場所を活かしていく』と考えるようにしました」

今はその手段が宿経営であるが、もしかしたら将来は宿ではなくなるかもしれない。寺子屋になるかもしれないし、シェアハウスになるかもしれない。「ここでの暮らしが好き」という感覚を軸に置けば、可能性がいくつも開けてくる。暮らしているからこそにじみ出る価値もある。あるお客さんの話をしてくれた。

「自分の家が公費解体されて、その後の役所の手続きのために珠洲に来て、泊まるところがないからとうちに来られた老夫婦が、去年も一昨年も何組かいました。うちは北陸らしさを感じる家。だから、そういう人に自分の家を思い出して懐かしんでもらったり、私みたいにちょっと寂しい気持ちになった時の別宅のようになれたらいいなあと思います」

「友だち」が訪れてくる宿へ

最後に月並みだが、今後どんな宿にしていきたいかという質問をした。が、漠然としてあまりいい質問ではない。そこで「私はオススメの旅先を人に聞かれたら、いつも『友だちや知り合いがいるところ』と返事をしています」という話をした。行きたくなるような友だちがいる、会いに行きたい人がいる。人との出会いが旅をおもしろくする。

「そんな人になりたいですね。今年のテーマは『おもしろい人になる』にしよう」

観光地ではなくても、友だちの行きつけの居酒屋に一緒に行くだけで楽しい。だから全国に友だちがいるといい。翻って宿の場合、全国、全世界から“友だち候補”がやってくる。

「お客さんと友だちになるという感覚はいいですね」

支援する・されるという(意図せずとも)主従や上下が作られてしまう関係性より「友だちがフラットでラク」。

「ボランティアで初めて能登に来た人で、その後も遊びに来てくれるようになった人もいます。うちは被害も大きくなかったので、すぐにやる作業なんてなくなったんです。だから復旧・復興というより、ただの仕事の雑用なんですけどね。それでも来てくれて、本当にうれしい。そういう人が増えてたらいいな。おもしろい人間になって友だちを増やそう」

菜の花さんにとっても、旅をすることは友だちに会いに行くこと。全国に友だちがいれば、どこへ行っても楽しい。それと同じように、世界中から友だちがこの宿を訪ねてきてくれるような、そんな場所は魅力的だ。

井戸水を薪で沸かし、灯油で保温している。(画像提供:湯宿さか本)

〈湯宿さか本〉にある不便さは、私たちが日常で切り捨ててきた「実は豊かな何か」を思い出させてくれる。珠洲の小さな一軒宿で、坂本菜の花さんは今日も普通を続けている。それがどれほど価値のあることなのか、実際に訪れてみると少しわかる気がする。

profile
坂本菜の花
1999年、石川県珠洲市生まれ。小学5年生から和歌山県「きのくに子どもの村学園」、高校からは沖縄県「珊瑚舎スコーレ高等部」で学ぶ。在学中に中日新聞で連載していたコラム『菜の花の沖縄日記』が書籍化され、『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』としてドキュメンタリー映画化された。2018年に卒業後は珠洲市に戻り、家業に入る。2024年、女性の文化発信をたたえる「女性文化賞」を受賞。現在、北陸中日新聞ウェブにて『なのはな日和』を連載中。

湯宿さか本
住所:石川県珠洲市上戸町寺社 
TEL:0768-82-0584
宿泊料金:20,000円(2名様1室1名あたり・税込)
※2026年10月10日〜11月8日の間は30,000円(同上) 
※1名様は+2,000円  
※支払いは現金のみ
休業日:2026年12月31日から3月末まで
WEB:https://www.yuyado-sakamoto.com/
※掲載時(2026年6月)の情報です。最新情報はオフィシャルホームページなどでご確認ください。